TAB 多読 -tadoku and beyond!-  

いっぱい読んでたっぷり聞けば、英語はかって出てきます!

  

2013/09/08

文法というかお約束事は守らなきゃ、対話は成り立たないよ


お兄ちゃんブログのコメントに「文法」という文字を見つけたので、
誤解を解いておくためにも、仲間内では文法音痴で知られている私ですが、
ちょっとだけ言わせてください。

英語の多読や多聴をすすめているからといって、
マンガを読め!アニメも使える!!とか、教養の欠片も感じられないからといって、
勉強しろって言わないからといって、
文法は必要ないと考えているわけでも、
文法を軽視しているわけでもありません。
むしろ、その反対だと思います。

どう反対なのか、論じることは私にはできないので、身近な具体例を上げてみます。

*****
ここに一人の大学1年生(にあたる)がいます。
小学生のころから多読的に英語と親しむようになり、
学校の英語は、内申が悪くならない程度に最低限のことだけやった。
単語帳を作ったり、丸暗記をしたり、音読したり、
そういう一般的によいとされているお勉強は、ほとんどやることなく英語をしてきた子がいます。

(例えば、中学で授業以外にやったのは、好きな英訳マンガをたまに読むだけ。
高校では、理系の学校なので英語はオマケ程度。授業中はおしゃべりタイム。大学受験も経験していない。)
そんな彼女が、

①中学英語でまず驚いたこと

「I」 は、「I」でも「私」でもなくて、「私は」にしないといけない!?
「is」「are」が「です」になる??

彼女にとって「I」は「I」でしかないのです。
「私は」という日本語に置き換わるなんて、思ってもみなかったよう。


②高校では。

「But」が、「しかし」になるということ。

彼女にとっての「But」は、これから反対のことをはなしますよ~といった「合図」なんだそうです。




人とコミュニケーションするためには、文法は必要です。
でも、I = 私は、 is, are = です、 but = しかし、
とやることに疑問を感じないような人に、文法がわかっているといえるのでしょうか?
I も、is, are も、but も、すぐには訳せない彼女は、文法が身についていないのでしょうか?
*****


と、こうした根本的なところに気づくことなく、「ルールとしての文法」をいくらやったところで、
英語を適切に使えるようにはならないと思うのです。
それよりも、

1、多読的なことからはいることにより、「機能としての文法」の獲得を促す
その後、
2、意識的な学習により、「ルールとしての文法」を学ぶ

というのが、正しい順序というものではないでしょうか。
そして、この自然な順序で英語を学び使えるようになることが、今は可能になったということです。
お勉強、トレーニングといった従来型の学習を続けなければならない理由は、もうありません。
どう思われますか?

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