TAB 多読 -tadoku and beyond!-  

いっぱい読んでたっぷり聞けば、英語はかって出てきます!

  

2012/04/10

本ではなく、人の役割。

「実は"SPOTS"に本当に感動していたんです!」

多読は、必ずしも文字を読むことだけが大切なのではない、と私が実感したエピソードを紹介します。

私の教室に小6から通い、多読を2年やっている女の子がいます(この春中2になりました)。小6から2年多読をやっていれば、恐らく随分スラスラとペースよく読んでおり、学校のテストも優秀な成績をとっている、というイメージを持たれる方が少なくないかもしれませんね。特に多読をこれから始めようとされている方ほど、プラスの期待で多読を捉えているかもしれません。事実そういう子もいます。

でもこの女の子は、学校のテストは平均点程度をうろうろ。ここ半年位は本も持ち帰ってはいるものの、読んでいるような、いないような。最近読んだ本の中にも、あまり高評価の本がありません。要するに“もどかしい”状態だったのです。

ところが最近、この子のクラスで、これまで読んだ本の中から好きな本を探してもう一度読んでみよう、という話になったときに、この女の子がORT Stage2 More Stories-Aの"SPOTS!"を挙げたのです。私はこの時正直「意外」だと思いました。大人の感覚では、良書の条件は“文字によって表されたストーリー(内容)”であることがほとんどです。また、ORTは多読入門のような位置づけになっており、さらっと通過して次へ、という感覚で捉えている方も少なくないかもしれません。少なくとも私はそうでした。おそらく私の教室が、対象を幼児や小学生ではなく、中学生をメインにしている、ということもあるのでしょう。おまけに、既に数百冊の本を読んでいる段階だったからです。ところがこの子にとっては、この"SPOTS!"がとんでもなく面白くて一生忘れられないくらい衝撃を受けた、という告白をしたのです。それからはその話で盛り上がり、場の雰囲気が明るくなり、その後この子の読書に対するスタンスも良好になってきたように思います。やはり、自分が面白いと思った本を、ちゃんと認めてもらった喜び、あるいはそのシェアが効いたのかもしれません。月ごとにやっているテストも60点前後をうろうろしていたのが、今月は90点。無理やり因果関係を作るつもりもありませんが、ノってきた感があります。

ORTのみならず、多読が多読であるがゆえに、「数」の部分にフォーカスが強く、それぞれの本に対し、どの程度の深くまで入り込ませるのか、あるいは、子どもと自分との関係に対する意識が十分でなかったと思いました。

子どもたちは、私たち教える側が気付かぬところで大きく感動していたり、楽しそうに見えて実は退屈さを感じていたりしているものです。“一般的に”内容が良ければ子どもは付いて来る、というものではなく、まさに子ども一人ひとりに異なるツボがあります。ゆえに本の数も大事なのですが、本に対する興味や関心は、絵や装丁、そして何より『先生や親との関係性にこそ大きく依存している』ことを、子どもに本を与える側は常に頭の片隅に置いておかなければならないと、強く実感した体験です。読ませっぱなしではなく、ブックトークや書評の発表などを定期的に取り入れると、こうした子どもたちの声をうまくキャッチでき、より充実した多読導入になるのではないでしょうか。(執筆者:CHABO)
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4 comments:

  1. 英語の先生に多読の説明をすると、よく質問されるのが、
    「訳すこともしない、説明もしない。それで生徒はわかるのでしょうか?」

    でもね、

    "子どもたちは、私たち教える側が気付かぬところで大きく感動していたり"

    そうなんです!子どもって、大人には想像することのできない、子どもだからこそな読み方をしている。話が理解できたか、できなかったか、そういう次元のことじゃないんですよね。

    柔軟な頭でイメージをふくらませていく子どもたちを、凝り固まった大人の頭で理解なんて、そもそもが無理なんですよ。
    大人も子どもたちを見習って、フニャフニャヤワヤワしとかないとね!

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  2. ☆MrsMaloneさんへ
    そうなんですよね。先生たちの最大の誤解は「説明すれば分かる」が中心にあること。これは語学に限らずだと思います。恐れず言えばむしろ逆で、

    「説明するから分からなくなる」

    と感じるケースは教えていてかなり多いです。例えばNice to meet you.のtoは何かなんて一々説明する先生はさすがにいないんですよね。ところが、I like to read.とかになるとto readをやれ不定詞だ、名詞的用法だ、SVOだなんていう話を持ち出したがる。

    説明するから分からなくなるんです。

    要するに「使えるようになること」にフォーカスが無い。


    でも説明すれば先生は仕事をやっている感覚になるから、ある意味“楽”なのだとも思います。一昔前の予備校講師のように、自分の解説に酔ってしまっている人もいる。

    このテーマについてはまたどこかで触れていきたいと思います。

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    1. 現場の高校教師です(笑)。私も「説明」に酔ってる時期かなりありました。そして、現場で「授業力が優秀」と言われている教員のほとんどが「説明がわかりやすい」ことを売りにしています。そういう「わかりやすい授業」をできる教員を「養成」するために莫大な時間と金が使われています。

      でも、そんなのみんな教える側の自己満足。公務員の自己満足のために税金使っていいのかい?

      納税者の皆さんはもっと声をあげた方がいいと思います。一度、教員の「研修」や「研究授業後の協議会」を見た方がいいですよ。

      だけど、納税者のみなさんを「だます」のが優秀な官僚。

      だまされないようにしましょう。

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  3. どこの国でも、説明するのが先生はお好きなのか、ちょい関連した話がありましたよ。
    "A family of Readers” より。

    学校ではなぜユーモアが歓迎されないのか?
    ”・・・from E.B. White's introduction to...:
    Humor can be dissected, as a frog can, but the thing dies, in the process and the innards are discouraging to any but the pure scientific mind.

    Which is exactly why schools and teachers are not so keen on humor as a legitimate form of writing - it's so difficult to dissect. Teachers love to dig into tragedies and problem fiction, in part because they can be EXPLAINED and illuminated by discussion."

    I'm lucky that I was not able to understand all those crappy explanations about English grammar during high school days. That's what made me hooked up with tadoku^^

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